2021-04-21 第204回国会 参議院 本会議 第17号
二〇〇六年にライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、麻生外務大臣、額賀防衛庁長官の2プラス2で承認された在日米軍のための日米ロードマップから十五年、また、在日米軍再編のうち、沖縄県内における土地の返還の行程を示す統合計画から八年が経過しました。 当時は、世界の関心が中東やアフガニスタンに集中していましたが、今や国際状況は一変しています。沖縄の基地負担軽減のためには統合計画の実施は必須です。
二〇〇六年にライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、麻生外務大臣、額賀防衛庁長官の2プラス2で承認された在日米軍のための日米ロードマップから十五年、また、在日米軍再編のうち、沖縄県内における土地の返還の行程を示す統合計画から八年が経過しました。 当時は、世界の関心が中東やアフガニスタンに集中していましたが、今や国際状況は一変しています。沖縄の基地負担軽減のためには統合計画の実施は必須です。
麻生外務大臣時代の私の思い出は、日本の在外公館を使って日本企業が海外で活動するということがほとんどないということで、麻生当時の外務大臣が相当お怒りで、日本にあるアメリカ大使館はしょっちゅうアメリカの企業が大使館の施設を使ってプレゼンテーションとかセミナーとかをやっているということをたしか引用されて、麻生外務大臣の時代から、以前と比べると相当、邦人企業に対する外務省の支援というのは強まったというふうに
麻生副総理兼財務大臣におかれましては、私は、十一年前、麻生外務大臣のころに政務官としてお仕えをさせていただいて以来、御指導を賜ってきておりますことに心から感謝をまず申し上げたいと思います。 初めて財金の委員になりました。副総理兼財務大臣の御重責でございますので、御多忙な日々と推察をいたしますが、ぜひ健康に御留意されて、さらなる御活躍を御期待申し上げたいと思います。
当時、麻生外務大臣、そして安倍官房長官、韓国は潘基文外交通商部長官。こういうときに、平成十八年の五月三十一日というんですから、実は、ちょうど十一年前のきょう、私はこの外務委員会で質問して、この問題を取り上げているんです。また、何と、そのとき土屋品子さんが理事だったという、すごい御縁なんですけれども。 いわくつきの船が十年ぶりに入ってきて、同じ海域で調査をしている。
そして、そういう運動の中で、日本政府だって、私もかつて麻生外務大臣に、被爆の実相をどう広げるのか、パンフレットをつくったときに、もっとわかりやすいような形で、被爆者の訴えや、そして、あのときたしか漫画とかという話もあったのかもしれませんが、そういうイラストも含めてということで、大いに知恵を出してやっていこうじゃないかといって、大臣も当時、大いに取り入れてやりましたということで言われましたけれども、そういう
しかし、この制裁は、この辺りは私が外交防衛委員会にいたときに、麻生外務大臣のときとちょうど時期が一致しているんですけれども、拉致問題のある中、このテロ支援国家指定は解除されてしまったということがあって、非常に我々じくじたる思いがあったというのは麻生大臣も同じ気持ちだったんじゃないかなというふうに思うんですが、特にこの前のテロ支援国家指定というのは、大韓航空機爆破事件、この主犯は日本人に扮した、日韓関係
○福山哲郎君 ということは、六百を減らすこともあり得るというような類いだと聞いていましたが、十年前の審議で、対象犯罪を約三百に減らした我々の修正案に対して、当時の麻生外務大臣はそれでは締結できないと発言されています。岸田外務大臣、どうするんですか。
このとき麻生外務大臣は陣頭指揮に当たって、盛田光広さんの御遺体や三人の拿捕された残りの船長などの交渉に当たられたかと思います。こういうことを見て、世代が上の方ほど旧ソ連、ロシアに対する不信感が強うございます。交渉相手としてはロシアはそもそも本当に信用に足るのか、疑心暗鬼になられている国民もいらっしゃいます。
当時の麻生外務大臣にも大変真摯に対応していただき、我々政治家だけではなくて、御遺族の山岡理子ちゃんの御両親にも直接お会いになっていただき、お話を聞いていただきました。しかし現実は、ハードルは極めて高かった。法的にも政治的にもこの引渡条約というのはなかなか難しい、御両親はこれを断念をして代理処罰の申請に移ったわけでございます。 大変長い時間でございました。
○榛葉賀津也君 当時の麻生外務大臣は前向きに検討すると、議事録あるんですけれども、せめて、やっぱり防衛省になりましたから、そこのところだけでも最低限直すべきだと思います。 最後に、大臣、関口雄輝さんという海将補を御存じですか。
○白眞勲君 たしか予算委員会で麻生総理、麻生外務大臣だったかな、答弁したとき、千八百三十一名と聞いているんですけど、どうなんでしょうか。
歴代の外務大臣なんですけれども、これは、平成十九年の一月二十六日、麻生外務大臣のときに、「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化はなく、北朝鮮の核開発は断じて容認できません。」こういうふうに発言されています。 平成二十年の一月十八日、高村正彦外務大臣、「拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、」というふうになっています。
世耕副長官、よく御存じだと思うんですけれども、以前、当時の麻生外務大臣が核保有について、議論していくことは大切だという発言をしただけで大騒ぎになったこともあるわけですよ。つまり、議論することで、じゃ何が問題かということがありましたけれども、当時の外務省などは、政府としては非核三原則は堅持します。
密約は一切ないと答えたのは、安倍官房長官、麻生外務大臣です、当時の。だから、こだわります。これは秘密になるのか、ならないのか。 今日の答弁でも密約になるかならないか答えないということは、密約になるという可能性もあるということじゃないですか。これはなるんですか。じゃ、逆にこう質問します。沖縄返還における債務負担行為のこの密約は、秘密となる場合もあるということですか。森さん、どうですか。
沖縄返還のもそうですが、先日も総理に質問しましたが、二〇〇六年三月、沖縄返還密約はないと、文書を示し、当事者の意見を示したにもかかわらず否定をしたのが安倍官房長官、麻生外務大臣です。そのお二人が今総理、副総理として、この秘密保護法を成立させようとしている。 沖縄の返還のときの財務負担については、シュレッダーに掛けたのか文書が出てきませんでした。
二〇〇六年当時、麻生外務大臣は、沖縄返還協定が全てで、密約等々は一切ないと全面否定をしました。しかし、外務省調査でいろいろな文書が出てきている。メモも出てきている。アメリカの公文書館からもそれを示すものが出てきている。 であれば、沖縄返還協定が全てで、密約等々は一切ないという、この答弁は少なくとも見直すべきではありませんか。
当時は安倍官房長官、そして麻生外務大臣です。 密約はあるんですか、ないんですか。現在、今の段階で認めているか、認めないか。 二〇〇六年、当時の自民党政権は密約はないと答弁しました。今はどうなんですか。
そもそも、平成十八年、二〇〇六年、再編実施のための日米のロードマップ、これは、ライス国務長官、ラムズフェルド国防長官、麻生外務大臣、額賀防衛庁長官のこの再編のロードマップのときには、約八千名の第三海兵機動展開部隊の要員とその家族約九千名は、部隊の一体性を維持するような形で二〇一四年までに沖縄からグアムに移転するということがそもそもでした。
そして、ICCローマ規程締結の際にまた議論の対象になっておりまして、国内法の整備等についても検討していかなければならないと認識していると、当時、麻生外務大臣が御答弁いただいているわけでございます。 昭和三十二年、五十六年前から研究がされ続けて、はや五十六年でございます。
二〇〇六年の十二月の十六日のこの麻生外務大臣時代の記者会見、十六日ということは十五日の記者会見と書いてありますが、個人的な見解で持っているというふうにおっしゃっているんですが、どうなんですか。
過去には、麻生外務大臣が子供たちの代表と三十分ぐらい時間をとって懇談をしていただいたりとか、あるいは民主党政権のときにも、岡田外務大臣が会っていただいたりということがありました。
○金田委員 さて、ここからは私の質問は多少厳しくなるんですが、我が党の麻生外務大臣、おやりになった当時というと今から六年前ですね、私は外務副大臣をやらせていただきました。そのときに、二〇〇六年だったんですけれども、私は、北海道の根室沖で拿捕された日本漁船の船長の釈放を求めるためにロシアを訪問させていただきました。
六年前の話をして恐縮なんですが、麻生外務大臣当時は国連の常任理事国入りを目指していたんですね。だから、非常に我が国が国際社会の中で、プレゼンスというか存在感を高める努力を猛烈にしていました。それが、ぴたっと今やんでいる。政権がかわったらやんでしまったというのは、これはトップに立つ大臣やいろいろな皆さんの努力が足りないんじゃないかというふうにみんな思っちゃう。